2025.3.5
ぽちっト神戸掲載「日本人と英語」第43回
ーーーーーーーー
東京外国語大学のセンター試験は英、数、国だった。歴史も選べたが、もう試験まで3ヶ月しかなく、数学が合理的な選択だと思われた。しかし語学の大学なのに試験科目がなぜ「数学」でもいいのか、不思議だった。小さい頃から私の大の苦手は算数で、そのコンプレックスから中学時代はひたすら数学を勉強した。全部の科目で5を並べるには数学こそが鬼門だったのだ。父は岡潔を引用して、数学は「人間の創造した美しい言語」なんだから、東京外大の試験科目はまことに理にかなっていると言った。父は文学部の教授だが、中高生らが専ら勉強すべきは物理だと信じていた。自然界の道理を理解するための思考の道具として、日本語や英語があり、それらの人間の言葉としての冗漫さを排し、エッセンスだけを捨象したものが数学である。ガリレオは「宇宙という書物はthe language of mathematicsで書かれている」と言った。ウィトゲンシュタインは「Mathematics is a language」、つまり数学とは単なる計算技術ではなく、ある種の「人工的な言語システム」であり、そのルールに従って思考を整理する道具だという。いったい、いつそれが私の将来に役立つのか、英語を専攻する私が、日本語と数学に長けていることで有利になる場面があるのだろうか、なんだかイメージは乏しかった。ところが私の人生で、私に最も利してくれたのは英語とセットになった「日本語と数学」だった。学生生活がスタートするやいなや、家賃2万5千円、風呂無しトイレ共同の柏荘というアパートの6畳一間に98ノートが一台あるだけ。親子喧嘩で仕送りがなくなった私は、隣の部屋のヒンディー語科の友人に食事をたかり、数ヶ月も経った頃「朋子ちゃん、生活費入れて」といわれ、学生課からも半期の学費を納めないと除籍するといわれて、降参するか、自ら活路を見出すかの岐路に立たされた。学生課で求職をあたると存外、プログラミングのわかる翻訳学生バイトは重宝されて、1ヶ月に40万円のアルバイト料をもらって学費を払った。会計システムのマニュアル、ウェブコンテンツの日本語バージョン、新しいプログラミング言語がリリースされるたびに仕様書を翻訳する仕事が山ほどあり、機械翻訳の分野では、マクロを作れる英語と日本語の堪能な学生は時の人だった。(つづく)
ーーーーーーーー
背景の解説
このエッセイは、「日本人と英語」をテーマに、東京外国語大学受験の経験、数学への苦手意識、そして言語と数学の関係について描かれています。筆者はもともと数学が大の苦手でありながら、東京外国語大学のセンター試験で数学が選択可能であったため、合理的な選択として数学を勉強することになります。
しかし、父親が「数学は人間が創造した美しい言語である」と語るように、数学が単なる計算技術ではなく、「思考を整理するための道具」であることを徐々に理解していきます。数学が「人工の言語」として機能し、日本語や英語と並ぶ論理的な表現手段となりうるという洞察が、エッセイの核心となっています。
また、大学入学後、生活費と学費の問題に直面するなかで、プログラミングができる翻訳者というスキルが思わぬ形で活かされることになります。ここで数学の知識が英語と結びつき、実際に「時の人」として社会で評価されるという展開が、読者に強い印象を残します。
書評:このエッセイの凄さ
このエッセイは、数学と語学という一見無関係に思える分野の交差点を見出し、それが人生において思わぬ形で実を結ぶという、知的で示唆に富んだ物語です。以下の点が特に優れています。
① 数学を「人工の言語」として再定義
数学を単なる計算ではなく、「人間が創造した美しい言語」と捉え直す視点が極めて新鮮です。ガリレオやウィトゲンシュタインの言葉を引用しながら、数学が思考のツールとして機能することを説く流れは、読者に知的な興奮をもたらします。
② 苦手なものが人生の武器になる逆転の発想
筆者が「数学が鬼門だった」と語るように、もともと苦手意識を持っていたものが、最終的に英語とともに最も有益なスキルになるという展開は、多くの読者にとって意外性と共感を呼ぶポイントです。自分の弱点が実は強みに変わるというメッセージは、受験生や学習者に勇気を与えます。
③ 学問が実社会で役立つリアリティ
「数学を学ぶ意味はあるのか?」という疑問に対し、このエッセイは明確な答えを示しています。特に、プログラミング翻訳という職業において、英語と日本語の堪能さに数学的思考力が加わることで、他の翻訳者とは一線を画す存在になるという具体的なエピソードが、学問の実用性をリアルに伝えています。
④ 語り口のバランス
個人的なエピソード(受験・家計・仕事)と、知的な考察(数学と言語の関係)が絶妙に組み合わさっています。論理的でありながら、時折ユーモラスな描写があり、読者を飽きさせません。特に「家賃2万5千円、風呂無しトイレ共同の柏荘」「ヒンディー語科の友人に食事をたかる」というエピソードが、学問と生活のリアリティを兼ね備えた説得力を持っています。
まとめ
このエッセイは、単なる受験体験記ではなく、「数学と言語の本質」「学びの意味」「学問と実社会の接点」といった多層的なテーマを見事に織り込んだ知的エッセイです。数学を「人工の言語」として再解釈し、それが人生の転機となるという展開は、読者に新たな視点をもたらし、深い共感を呼びます。
また、「自分の得意・不得意をどう捉えるか?」「学んだことがどこで役立つのか?」という問いに対し、「思わぬところで役立つことがある」「学問の組み合わせが新たな可能性を生む」 という、実感のこもった答えを提供しています。これは、多くの学習者や若者にとって、大きな励ましとなるはずです。
2024.11.4
ぽちっト神戸掲載「日本人と英語」第40回
ーーーーーーーー
このコラムは、前島先生がイギリス留学で得た体験や、日本人として英語と向き合う中で感じたさまざまな思いを綴った内容です。異文化の中で直面する孤独や言語の壁、そこから見えてくる自己や日本の文化との関わりを、豊かなエピソードと鋭い洞察で表現されています。シリーズは現在40回目を迎え、当回は漱石のエピソードを通じて、異国の地での英語学習の厳しさや日本人の言語習得における難しさを浮き彫りにし、読者に深い共感と新たな視点をもたらしてくれる一篇です。
ーーーーーーーー
夏目漱石はイギリス留学中に鬱病になった。貧相な体格へのコンプレックス、カルチャーショック、SAD(季節性情動障害)、言語能力の限界に苦しんでいた。漱石の手記には、『馬鹿げた英語をしゃべって、向こうに通じないので閉口した。言葉が通じないため、まるで犬や猫のように扱われた』とあり、高校の英語教師だった漱石は1900年、明治政府から託されてロンドン留学を命ぜられたが、文豪たる漱石が生涯にわたって精神を患うほど、その2年間の留学生活は過酷で孤独だったのだ。当時33歳、国費留学生だからこそ、一足飛びにバイリンガルになって、エスタブリッシュメントと対等に渡り合える語学力を持ってしてやっとのことで英語が通じる、と考えていたのかもしれない。大英帝国世界地図からすれば極東の位置にある日本の言葉と、ヨーロッパ系の英語との言語距離はあまりにも遠い。日本語ー英語のバイリンガルになるには、幼少期から両言語に触れていること、日常的に両言語に頻繁に接する環境があること、継続的に練習、使用し続けること、言語だけでなく背景にある文化をも理解すること、などの条件が揃わねばならない。そこに膨大な時間と労力を費やし続けるのが英語学習の道だ。英語が好きだと思えなければまさに荊の道であり、諸々のストレスでメンタルが疲弊するだろう。KIXに向かうエールフランスの機内食には日本食が振る舞われたが、ずいぶん懐かしい味だった。イギリスから離れてみても、まずもって3年間のすべてが辛く悲しい出来事しか思い出せない。何年も毎晩泣き暮らしたが、今はもう涙も出ない。殺伐とした思いの中、一つだけ輝く気持ちがあった。それは愛読書の『吾輩は猫である』の謎解きである。イギリスのフランス語の教科書は「私の猫はどこですか?」というフレーズから始まるという、非実用性を皮肉ったジョークがあるが、ルイス・キャロルは不思議の国のアリスで、話しかけても無視するネズミに、英語が通じないならフランス語で話そうとアリスは考えて、ふと教科書の最初のセンテンスを言ってみたのだが、猫と聞いてネズミは余計に恐怖したという一場面を描いている。漱石は読んだはずだ。「私は猫です」はその若干自虐的な洒落なのかなと、存外、漱石も英語は面白いと感じていたかもしれないと我ながら悦に入った。(つづく)
解説
この文章では、日本の文豪である夏目漱石がイギリス留学中に経験した苦悩と、異文化における言語の壁が主題となっています。特に漱石が「鬱病」に陥り、異国の地で感じた孤独感や自己評価の低下が、留学生活の困難さを強調しています。
文章の中で漱石が「貧相な体格へのコンプレックス」「カルチャーショック」「季節性情動障害(SAD)」といった問題に苦しんだことが描写されていますが、これらは留学生が直面する「文化的疎外感」を端的に表しています。また、「馬鹿げた英語をしゃべって、向こうに通じない」といった言葉は、異文化で言語が通じない疎外感を生々しく伝えています。漱石が「まるで犬や猫のように扱われた」と表現したのは、彼の存在が英語圏では人間としての価値を認められず、孤独を深める一因になったことを示唆しています。
また、漱石が日本の国費留学生として、イギリスで「エスタブリッシュメントと対等に渡り合う語学力」を期待されていたことが語られ、彼が重圧と責任の中で苦しんだ姿が浮かび上がります。さらに、「大英帝国世界地図」による文化・言語の隔たりが強調されており、日本語と英語の距離感が異文化適応を難しくしていることが示されています。
最後の部分で、漱石の愛読書『吾輩は猫である』のタイトルが「私の猫はどこですか?」というフランス語の教科書フレーズと関連付けられ、漱石が言語を通じて異文化への皮肉を感じ取っていた様子が描写されています。また、文章の結びにある「我ながら悦に入った」という一文は、話し手が漱石の立場を理解し、共感していることを示唆しており、漱石の思考を受け継ぐような姿勢が感じられます。
書評
この文章は、夏目漱石のイギリス留学体験を通じて、異文化における言語的・精神的な葛藤を浮き彫りにしています。異文化適応が必ずしも楽ではなく、むしろその過程で多くの自己否定や孤独感が伴うことが描かれており、留学の現実をリアルに伝えています。
文章の中で、漱石が体験した「荊の道としての英語学習」や、異文化で自己価値が低く扱われる経験は、現代でも共通する普遍的なテーマです。読者は漱石の経験を通じて、自身が異文化に置かれた時に感じる不安や孤独を理解する手がかりを得られるでしょう。
また、「私は猫です」というフレーズが自虐的なユーモアとして引用され、英語をめぐる漱石の苦しみが少し軽やかに表現されています。これは、漱石が単に苦しんでいたのではなく、言語や異文化への皮肉的な視点を持ち、自らを客観的に見つめていたことを示しており、彼の知的なユーモアが伺えます。
結びに「我ながら悦に入った」とあるように、話し手自身も漱石の視点を通して英語への洞察を深め、漱石への理解と共感が強く表現されています。漱石のように、異文化と自分の文化を比較しながら冷静に向き合うことの重要性を、読者に伝える一文になっています。このコラムは、留学や異文化との関わりについて深く考えさせられる、知的な満足感を与える内容と言えるでしょう。
2024.2.4
◎無料体験レッスン実施中♪
ECCジュニア鈴蘭台駅前教室では無料体験レッスンを行っております。2024年度4月からの新規募集クラスはタイムテーブルをご覧ください。無料体験レッスン(60分程度)は土日も随時実施しておりますので、下記フォームからお問い合わせください。
鈴蘭台駅前教室は駅ビル横のこまやビル4階です。大原桂木教室は分教室で、神戸市立桂木小学校、大原中学校のすぐ前です。