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ぽちっト神戸掲載「日本人と英語」第40回
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このコラムは、前島先生がイギリス留学で得た体験や、日本人として英語と向き合う中で感じたさまざまな思いを綴った内容です。異文化の中で直面する孤独や言語の壁、そこから見えてくる自己や日本の文化との関わりを、豊かなエピソードと鋭い洞察で表現されています。シリーズは現在40回目を迎え、当回は漱石のエピソードを通じて、異国の地での英語学習の厳しさや日本人の言語習得における難しさを浮き彫りにし、読者に深い共感と新たな視点をもたらしてくれる一篇です。
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夏目漱石はイギリス留学中に鬱病になった。貧相な体格へのコンプレックス、カルチャーショック、SAD(季節性情動障害)、言語能力の限界に苦しんでいた。漱石の手記には、『馬鹿げた英語をしゃべって、向こうに通じないので閉口した。言葉が通じないため、まるで犬や猫のように扱われた』とあり、高校の英語教師だった漱石は1900年、明治政府から託されてロンドン留学を命ぜられたが、文豪たる漱石が生涯にわたって精神を患うほど、その2年間の留学生活は過酷で孤独だったのだ。当時33歳、国費留学生だからこそ、一足飛びにバイリンガルになって、エスタブリッシュメントと対等に渡り合える語学力を持ってしてやっとのことで英語が通じる、と考えていたのかもしれない。大英帝国世界地図からすれば極東の位置にある日本の言葉と、ヨーロッパ系の英語との言語距離はあまりにも遠い。日本語ー英語のバイリンガルになるには、幼少期から両言語に触れていること、日常的に両言語に頻繁に接する環境があること、継続的に練習、使用し続けること、言語だけでなく背景にある文化をも理解すること、などの条件が揃わねばならない。そこに膨大な時間と労力を費やし続けるのが英語学習の道だ。英語が好きだと思えなければまさに荊の道であり、諸々のストレスでメンタルが疲弊するだろう。KIXに向かうエールフランスの機内食には日本食が振る舞われたが、ずいぶん懐かしい味だった。イギリスから離れてみても、まずもって3年間のすべてが辛く悲しい出来事しか思い出せない。何年も毎晩泣き暮らしたが、今はもう涙も出ない。殺伐とした思いの中、一つだけ輝く気持ちがあった。それは愛読書の『吾輩は猫である』の謎解きである。イギリスのフランス語の教科書は「私の猫はどこですか?」というフレーズから始まるという、非実用性を皮肉ったジョークがあるが、ルイス・キャロルは不思議の国のアリスで、話しかけても無視するネズミに、英語が通じないならフランス語で話そうとアリスは考えて、ふと教科書の最初のセンテンスを言ってみたのだが、猫と聞いてネズミは余計に恐怖したという一場面を描いている。漱石は読んだはずだ。「私は猫です」はその若干自虐的な洒落なのかなと、存外、漱石も英語は面白いと感じていたかもしれないと我ながら悦に入った。(つづく)
解説
この文章では、日本の文豪である夏目漱石がイギリス留学中に経験した苦悩と、異文化における言語の壁が主題となっています。特に漱石が「鬱病」に陥り、異国の地で感じた孤独感や自己評価の低下が、留学生活の困難さを強調しています。
文章の中で漱石が「貧相な体格へのコンプレックス」「カルチャーショック」「季節性情動障害(SAD)」といった問題に苦しんだことが描写されていますが、これらは留学生が直面する「文化的疎外感」を端的に表しています。また、「馬鹿げた英語をしゃべって、向こうに通じない」といった言葉は、異文化で言語が通じない疎外感を生々しく伝えています。漱石が「まるで犬や猫のように扱われた」と表現したのは、彼の存在が英語圏では人間としての価値を認められず、孤独を深める一因になったことを示唆しています。
また、漱石が日本の国費留学生として、イギリスで「エスタブリッシュメントと対等に渡り合う語学力」を期待されていたことが語られ、彼が重圧と責任の中で苦しんだ姿が浮かび上がります。さらに、「大英帝国世界地図」による文化・言語の隔たりが強調されており、日本語と英語の距離感が異文化適応を難しくしていることが示されています。
最後の部分で、漱石の愛読書『吾輩は猫である』のタイトルが「私の猫はどこですか?」というフランス語の教科書フレーズと関連付けられ、漱石が言語を通じて異文化への皮肉を感じ取っていた様子が描写されています。また、文章の結びにある「我ながら悦に入った」という一文は、話し手が漱石の立場を理解し、共感していることを示唆しており、漱石の思考を受け継ぐような姿勢が感じられます。
書評
この文章は、夏目漱石のイギリス留学体験を通じて、異文化における言語的・精神的な葛藤を浮き彫りにしています。異文化適応が必ずしも楽ではなく、むしろその過程で多くの自己否定や孤独感が伴うことが描かれており、留学の現実をリアルに伝えています。
文章の中で、漱石が体験した「荊の道としての英語学習」や、異文化で自己価値が低く扱われる経験は、現代でも共通する普遍的なテーマです。読者は漱石の経験を通じて、自身が異文化に置かれた時に感じる不安や孤独を理解する手がかりを得られるでしょう。
また、「私は猫です」というフレーズが自虐的なユーモアとして引用され、英語をめぐる漱石の苦しみが少し軽やかに表現されています。これは、漱石が単に苦しんでいたのではなく、言語や異文化への皮肉的な視点を持ち、自らを客観的に見つめていたことを示しており、彼の知的なユーモアが伺えます。
結びに「我ながら悦に入った」とあるように、話し手自身も漱石の視点を通して英語への洞察を深め、漱石への理解と共感が強く表現されています。漱石のように、異文化と自分の文化を比較しながら冷静に向き合うことの重要性を、読者に伝える一文になっています。このコラムは、留学や異文化との関わりについて深く考えさせられる、知的な満足感を与える内容と言えるでしょう。