日本人と英語第43回

ぽちっト神戸掲載「日本人と英語」第43回
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東京外国語大学のセンター試験は英、数、国だった。歴史も選べたが、もう試験まで3ヶ月しかなく、数学が合理的な選択だと思われた。しかし語学の大学なのに試験科目がなぜ「数学」でもいいのか、不思議だった。小さい頃から私の大の苦手は算数で、そのコンプレックスから中学時代はひたすら数学を勉強した。全部の科目で5を並べるには数学こそが鬼門だったのだ。父は岡潔を引用して、数学は「人間の創造した美しい言語」なんだから、東京外大の試験科目はまことに理にかなっていると言った。父は文学部の教授だが、中高生らが専ら勉強すべきは物理だと信じていた。自然界の道理を理解するための思考の道具として、日本語や英語があり、それらの人間の言葉としての冗漫さを排し、エッセンスだけを捨象したものが数学である。ガリレオは「宇宙という書物はthe language of mathematicsで書かれている」と言った。ウィトゲンシュタインは「Mathematics is a language」、つまり数学とは単なる計算技術ではなく、ある種の「人工的な言語システム」であり、そのルールに従って思考を整理する道具だという。いったい、いつそれが私の将来に役立つのか、英語を専攻する私が、日本語と数学に長けていることで有利になる場面があるのだろうか、なんだかイメージは乏しかった。ところが私の人生で、私に最も利してくれたのは英語とセットになった「日本語と数学」だった。学生生活がスタートするやいなや、家賃2万5千円、風呂無しトイレ共同の柏荘というアパートの6畳一間に98ノートが一台あるだけ。親子喧嘩で仕送りがなくなった私は、隣の部屋のヒンディー語科の友人に食事をたかり、数ヶ月も経った頃「朋子ちゃん、生活費入れて」といわれ、学生課からも半期の学費を納めないと除籍するといわれて、降参するか、自ら活路を見出すかの岐路に立たされた。学生課で求職をあたると存外、プログラミングのわかる翻訳学生バイトは重宝されて、1ヶ月に40万円のアルバイト料をもらって学費を払った。会計システムのマニュアル、ウェブコンテンツの日本語バージョン、新しいプログラミング言語がリリースされるたびに仕様書を翻訳する仕事が山ほどあり、機械翻訳の分野では、マクロを作れる英語と日本語の堪能な学生は時の人だった。(つづく)
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背景の解説
このエッセイは、「日本人と英語」をテーマに、東京外国語大学受験の経験、数学への苦手意識、そして言語と数学の関係について描かれています。筆者はもともと数学が大の苦手でありながら、東京外国語大学のセンター試験で数学が選択可能であったため、合理的な選択として数学を勉強することになります。
しかし、父親が「数学は人間が創造した美しい言語である」と語るように、数学が単なる計算技術ではなく、「思考を整理するための道具」であることを徐々に理解していきます。数学が「人工の言語」として機能し、日本語や英語と並ぶ論理的な表現手段となりうるという洞察が、エッセイの核心となっています。
また、大学入学後、生活費と学費の問題に直面するなかで、プログラミングができる翻訳者というスキルが思わぬ形で活かされることになります。ここで数学の知識が英語と結びつき、実際に「時の人」として社会で評価されるという展開が、読者に強い印象を残します。
書評:このエッセイの凄さ
このエッセイは、数学と語学という一見無関係に思える分野の交差点を見出し、それが人生において思わぬ形で実を結ぶという、知的で示唆に富んだ物語です。以下の点が特に優れています。
① 数学を「人工の言語」として再定義
数学を単なる計算ではなく、「人間が創造した美しい言語」と捉え直す視点が極めて新鮮です。ガリレオやウィトゲンシュタインの言葉を引用しながら、数学が思考のツールとして機能することを説く流れは、読者に知的な興奮をもたらします。
② 苦手なものが人生の武器になる逆転の発想
筆者が「数学が鬼門だった」と語るように、もともと苦手意識を持っていたものが、最終的に英語とともに最も有益なスキルになるという展開は、多くの読者にとって意外性と共感を呼ぶポイントです。自分の弱点が実は強みに変わるというメッセージは、受験生や学習者に勇気を与えます。
③ 学問が実社会で役立つリアリティ
「数学を学ぶ意味はあるのか?」という疑問に対し、このエッセイは明確な答えを示しています。特に、プログラミング翻訳という職業において、英語と日本語の堪能さに数学的思考力が加わることで、他の翻訳者とは一線を画す存在になるという具体的なエピソードが、学問の実用性をリアルに伝えています。
④ 語り口のバランス
個人的なエピソード(受験・家計・仕事)と、知的な考察(数学と言語の関係)が絶妙に組み合わさっています。論理的でありながら、時折ユーモラスな描写があり、読者を飽きさせません。特に「家賃2万5千円、風呂無しトイレ共同の柏荘」「ヒンディー語科の友人に食事をたかる」というエピソードが、学問と生活のリアリティを兼ね備えた説得力を持っています。
まとめ
このエッセイは、単なる受験体験記ではなく、「数学と言語の本質」「学びの意味」「学問と実社会の接点」といった多層的なテーマを見事に織り込んだ知的エッセイです。数学を「人工の言語」として再解釈し、それが人生の転機となるという展開は、読者に新たな視点をもたらし、深い共感を呼びます。
また、「自分の得意・不得意をどう捉えるか?」「学んだことがどこで役立つのか?」という問いに対し、「思わぬところで役立つことがある」「学問の組み合わせが新たな可能性を生む」 という、実感のこもった答えを提供しています。これは、多くの学習者や若者にとって、大きな励ましとなるはずです。
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