日本人と英語第44回
ぽちっト神戸掲載「日本人と英語」第44回
ーーーーーーーー
鈴蘭台駅前教室講師 前島朋子
実家は、まるで迎賓館のようなところだった。
アメリカからお客様がみえるから東大寺を案内してほしい、大学のキャンパスを案内してさしあげなさいと、通訳やホスティングにひっきりなしに駆り出された。ディナーの食卓で交わす会話、電話の取り次ぎ、家族の伝言まで、すべて英語でそつなくこなすことが求められた。どれだけ努力しても、その夜には母親からのこっそりとしたダメ出しが待っていた。悲しい思いで寝苦しかった。
英語を話すたびに、小さな声が頭の中でダメだなぁと囁く。自信はしだいに失われていった。うまくやらねばと気負えば余計に英語はたどたどしくなり、気まずい沈黙が心の元気を奪っていく。
日本語環境にもどると英語は影をひそめ、みるみるスキルが落ちていくのが大損に思えて、費用を出してくれたばあちゃんに申し訳なくてたまらなかった。それを危惧した両親はさらに私を方々のイベントにひっぱり出し、ついぞ自信のかけらもなくなりかけた頃、奈良のガイドは苦手だと断ると、母は落胆して「その程度のことは留学したことのないお母さんにもできるのに。朋子ちゃんも、それくらいお手伝いしてくれればいいじゃないの」と言った。英語なんぞできたところで少しも幸せじゃない、そう思いながらも観光案内に出かけて行くと、電車酔い、腹痛、動悸、それでも頑張ろうとしたらついに膀胱炎になり動けなくなった。自分の英語力は、ただ母を、ばあちゃんを、みんなをがっかりさせるだけの中途半端なものなのだ。ダメだなぁ、ダメだなぁと世界中から言われている気がしてならなかった。父は、「ダニング = クルーガー効果じゃな。浅いことしか分からんもんは簡単じゃと言う。本物は、謙虚なんじゃ」と言った。能力の高い人ほど自信を持ちにくい、過信と過小評価の逆転現象を示す研究だと知り、いくらか頭の声が静かになった。英語を話すことは、すなわち人と話して交流することであり、コミュニケーション力を育てるというのは、人格を育てることと同じだ。心の状態とスピーキング力は表裏一体であり、それらを同時に育てるのは容易いことではない。心理的なレジリエンスは長い時間を要するのだ。私のこの動悸が和らいだのは、実はつい最近のことだ。(つづく)
言葉を学ぶということは、心を育てるということ。
「日本人と英語」シリーズ第四十四回では、筆者自身の原体験を通して、英語学習の裏に潜む心の葛藤と、それを乗り越えていく過程が静かに、そして深く綴られています。
国際交流の舞台としての家庭、完璧を求められる期待の中で育まれた繊細な感受性、言葉を交わすことの難しさと温かさ。そこに描かれているのは、単なる語学教育の話ではなく、「話せるようになること」ではなく「人とつながること」の意味を問い直す、ひとつの教育詩とも言える作品です。
示唆に富んだ内容でありながら、ひとつひとつの描写は文学的に美しく、読む者の胸に静かに響きます。
英語という言語をめぐる旅が、同時に自分自身との対話でもあることを、このエッセイは教えてくれます。
以下に、前島朋子先生のエッセイ「第四十四回 日本人と英語」について、教育心理学の観点からアカデミックに分析・解説いたします。テーマごとに整理しながら、文中に表れる教育的問題点・発達心理的葛藤・レジリエンスの形成過程を論じていきます。
ーーーーーーーー
Ⅰ. 家庭環境における「過剰期待」とパフォーマンス圧
教育心理学的視点:
このエッセイの序盤で描かれるのは、家庭内の高期待環境です。心理学ではこれを「過度なパフォーマンス要求環境(performance-demanding environment)」と呼び、特に発達段階にある子どもにとって、自己概念の形成に深刻な影響を与えることが知られています(Deci & Ryan, 1985; Eccles, 1993)。
問題点:
• 子どもが内発的動機づけ(intrinsic motivation)ではなく、外発的動機づけ(extrinsic motivation)—つまり「親の期待に応えるため」「ダメ出しを避けるため」に行動している。
• 失敗=愛情の喪失と結びつきやすく、**条件付き肯定感(conditional self-worth)**の形成が危惧される。
文中の例:
「すべて英語でそつなくこなすことが求められた」「母親からのこっそりとしたダメ出し」
これらは、**完璧主義的養育スタイル(parental perfectionism)**の典型例です。
⸻
Ⅱ. 自己評価と「内なる批判者」:自動思考の形成
教育心理学的視点:
次第に英語を話すことが苦痛になっていく過程は、**自己効力感(self-efficacy)と内的対話(inner speech)**の悪循環として説明できます(Bandura, 1997)。特に重要なのは「自分にはできる」という感覚が削がれていく点です。
問題点:
• 否定的な自動思考(negative automatic thoughts)が形成され、「私は英語が苦手」「自分は失敗するに違いない」というスキーマ(認知的枠組み)が根付きやすくなる。
• 教師や親が否定的フィードバックを繰り返すことで、自律的動機づけの喪失が加速される。
文中の例:
「小さな声が頭の中でダメだなぁと囁く」
これは、**内在化された評価者(internalized critic)**の存在であり、自己形成の過程で不健全な信念(irrational beliefs)が定着してしまったことを示唆します。
⸻
Ⅲ. 心身症状としてのストレス反応
教育心理学的視点:
後半に登場する身体的な不調(電車酔い・腹痛・動悸・膀胱炎)は、典型的な**心因性身体症状(psychosomatic symptoms)**です。長期的なストレスと自己否定は、子どもの身体的健康にも影響を及ぼします(Sapolsky, 2004)。
教育的課題:
• 子どもが「できない」ではなく「苦しい」と感じていることに、大人が気づかないまま教育的介入を続けてしまうと、学習意欲の喪失どころか、生理的拒絶反応へと発展する。
文中の例:
「電車酔い、腹痛、動悸、それでも頑張ろうとしたらついに膀胱炎」
これは、言語学習に伴う過度の心理的負荷が身体症状として現れた臨床的兆候です。
⸻
Ⅳ. ダニング=クルーガー効果と自己認知の回復
教育心理学的視点:
ここで父親が述べた「ダニング=クルーガー効果」は、認知心理学の知見です。この理論によれば、能力の高い者ほど自らの未熟さに敏感であり、自信を喪失しやすい。反対に、能力の低い者ほど自信過剰になる傾向があります。
教育的含意:
• この理論は、「できない」と感じている子どもが実際には高い潜在力をもっている可能性を示す。
• 適切なメタ認知的フィードバックを与えることが、自己効力感の再構築に有効である。
文中の例:
「能力の高い人ほど自信を持ちにくい、過信と過小評価の逆転現象」
父のこの言葉が、内面の声を静める鍵になったという記述は、レジリエンス形成の重要な転機であり、教育心理的に非常に注目すべき点です。
⸻
Ⅴ. 言語教育と人格形成の関係
教育心理学的視点:
エッセイの終盤で述べられる「英語を話すこと=人と交流すること」「人格を育てることと同じ」は、まさに**言語教育の社会的構成主義的視点(social constructivism)**に一致します(Vygotsky, 1978)。
教育的示唆:
• 英語教育は単なるスキル習得ではなく、**対人関係能力(social competence)や情動調整能力(emotional regulation)**を育てる場である。
• 言語教育において最も重要なのは、「話す力」そのものではなく、「人とつながりたい」という動機と安心感である。
⸻
Ⅵ. レジリエンスの獲得と語りによる回復
教育心理学的視点:
このエッセイ自体が、一種の**ナラティブ・セラピー(narrative therapy)としての機能を持っています。過去の体験を言語化し、それを物語として意味づけ直すことにより、筆者自身が自己の回復力(resilience)**を獲得している。
文中の例:
「私のこの動悸が和らいだのは、実はつい最近のことだ。」
これは、言語による自己回復の実例であり、他者にとっても教育的なモデルになります。
⸻
結論:教育者への提言
このエッセイを通じて明らかになるのは、英語教育において最も重要なのは「心の状態」であり、安心して失敗できる環境づくりが学習支援の根幹であるという点です。教育者は、単に文法や発音を教えるだけではなく、学習者の感情と自己認知を丁寧に扱う専門性が求められます。
